日本を代表する名優、高倉健さん。
その最期を見届け、彼の遺志を継ぐ活動を続けているのが、高倉プロモーションの代表であり、高倉健さんと交際し、のちに高倉健さんの養女となった小田貴月(おだたか)さんです。
本記事では、二人の出会いから深い絆が生まれた背景、そして現在の活動までを深掘りしていきます。
小田貴月さんのプロフィール
まず最初に、小田貴月さんの基本情報をご紹介します
本名 :河野 貴
旧芸名 :貴倉 良子(たかくら りょうこ)
生年月日:1964年1月13日
出身地 :東京都板橋区
職業 :高倉プロモーション代表、作家、タレント
小田貴月さんは、千代田女学園高校在学中にスカウトされ、同短期大学に進学し英語を学んでいましたが中退し芸能界入りをしました。
女優としてデビューした小田さんは、ドラマやCMで活躍後、文筆業やプロデューサーとしても活動しました。
現在は高倉プロモーションの代表として、高倉健さんの遺志を守り続けています。
小田貴月さんの女優時代
若い頃の小田さんは、テレビドラマ『水戸黄門』や『必殺仕事人』シリーズなどで印象的な演技を披露しました。
また、丸善石油(現:コスモ石油)の1985年度のキャンペーンガールにも就任し、その美しい容姿と気品のある雰囲気が注目を集めました。
女優デビューは1982年10月の【必殺仕事人Ⅲ第35話】でお志乃 役を務め
1990年の水戸黄門‐第19部のおてる役を演じたのが最後のドラマとなっています
小田貴月さんがホテルジャーナリストになった経緯
女優としてのキャリアを経た後、小田さんは河野貴名義でホテルジャーナリストとしての新たな道を歩み始めました。
そのきっかけは、世界中を旅する中で感じたホテルの魅力にありました。
滞在したホテルのサービスや文化を深く学び、それを文章にまとめる才能を発揮。
彼女が執筆したホテルレビューは、単なる滞在記にとどまらず、読者に新たな視点を提供するものでした。
この経験は後に、高倉健さんと共に過ごした時間にも影響を与えています。
高倉健さんと小田貴月さんの出会い
二人が出会ったのは1996年、香港のホテルでのことでした。
香港のホテルのレストランで高倉健さんから一言声をかけられ、最初は文通相手として手紙のやり取りが始まったそうです。
小田貴月さんは、高倉健さんの事を映画俳優をしているくらいしか知らず、少しずつ仲を深めていきました。
高倉健さんとの手紙で信頼関係を築き、交際に発展
高倉健さんは手紙を書くことをとても大切にしていた人物でした。
小田さんによれば、文通を始めた頃の高倉さんの手紙は、とても丁寧で、相手を思いやる気持ちに溢れていたそうです。
「どんなに忙しくても、自分の気持ちを伝えることを怠らない人でした」と小田さんは語ります。
高倉健さんとの出会いから10年。手紙のやり取りで信頼関係を築き、2006年に交際し同棲を始めました。
小田貴月さんが高倉健さんの養女となるまでのエピソード
2013年5月、小田貴月さんは高倉健さんの養女となりました。
妻、ではなく養女となった理由は
小田貴月さんの母親が2011年に脳梗塞で倒れ、親族でないと病状の説明や、病室での看病も出来ないと考えるようになったそうです
高倉健さんは、1度離婚を経験していて、その時の経験から『紙(婚姻届)に縛られるのは違う』という考えがあり、養女ということなら・・・
という事で養女として籍を共にし、親族関係となったそうです。
実は、交際していた頃に、婚姻届を用意していた事もあったと、2023年に【徹子の部屋】に出演した際に、明かしていました
現在は高倉プロモーションで代表取締役に就任
高倉健さんと出会って、高倉健さんが亡くなるまでは『自分の存在を世間に知られぬよう暮らしていた』そうですが
高倉健さんがなくなってからは、高倉プロモーションの代表取締役に就任し、彼の名誉と遺志を守る活動を続けているそうです。
本名の河野 貴から、現在の名義・小田貴月となのるようになったのも代表取締役に就任してからの事で
2023年4月に生島企画室と業務提携してからは、小田貴月さん自身がメディアの露出を増やし【徹子の部屋】などで高倉健さんのエピソードを話しています
また、高倉健さんとの思い出や、高倉健さんの意志を語った著書などを執筆し
高倉健さんの生き方や人柄を次世代に伝え続けています
2019年に出版された【高倉健、その愛。】では、二人の思い出が情感豊かに語られています。
高倉健さんの愛情深さや、生前の知られざる姿が読者に伝わる内容です。
2023年に出版された【高倉健、最後の季節。】では、彼の最期の1年間に焦点を当て、彼が大切にした価値観や生き方を描いています。
出版後は多くの読者からの反響があり
『高倉健さんの人間性に心を打たれた』
『小田さんの視点を通じて、新たな高倉健像が見えた』
など支持されています
高倉健さんの遺品整理をしながら感じた事とは
高倉健さんの死後、小田さんは彼の遺品を整理しながら、その生き様を振り返ったそうです。
遺品の中には、ファンからの手紙や撮影現場で使った小道具など、大切な思い出が詰まっていたそうです
高倉健さんは「不器用な生き方」で知られていましたが、その生き方は多くの人々に勇気を与えました。
「嘘をつかない」「約束を守る」といった基本的な価値観を貫いた彼の生き様は、小田さんを含む周囲の人々に、亡くなってもなを、大きな影響を与えているようですね。
まとめ
高倉健さんと小田貴月さん—この特別な絆は、偶然の出会いから始まりました。
二人の物語から感じられるのは、人と人との繋がりの大切さや、信頼を築くことの意義です。
これからも高倉プロモーションの活動を通じて、彼らの物語が多くの人々に届いていくことを願っています。
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