「これが最後のオーディション。ダメなら帰国」――NiziUの最年少メンバー・ニナが挑んだNizi Projectの裏には、母親の支えと冷静な判断がありました。
母・ヒルマン理恵さんは、かつてプロゴルファーを目指し、その後シアトルへ留学。Starbucks本社でデザインの仕事に携わるなど、多彩な経歴を持つ人物です。
娘の夢を応援するために日本へ帰国し、現在は日本のお米をアメリカへ広める事業を手がけています。
この記事では、そんなニナさんの母の歩みと、親子それぞれの「挑戦」の形を振り返ります。
プロゴルファーを夢見たNiziUニナの母の経歴

NiziUニナさんの母、ヒルマン理恵(Rie Hillman)さんは、愛知県名古屋市出身。
現在はシアトルを拠点に、日本産のお米をアメリカへ届ける事業を手がける実業家として活動しています。
しかし、当初からビジネスの道を志していたわけではありません。
若い頃の理恵さんは、プロゴルファーを目指すアスリートでした。
20代前半でプロテストを受験しますが、惜しくも合格には至らず、夢を断念。
その挫折をきっかけに、一度は進路を見失いますが、
「自分をもう一度見つめ直したい」との思いから、偶然目にしたチラシがきっかけでシアトルへの留学を決意します。
留学先では英語を学びながら、建築設計(CAD)を専攻します。
シアトル留学と“運命の出会い”
異国の地で新しい環境に身を置きながら、語学だけでなく、建築設計(CAD)を専攻し、実践的なスキルを学び始めます。
CADを専攻した理由は、日本で建設業を営む父(ニナの祖父)の力になりたいという思いだったそうです。
ところが、留学中、友人の紹介で出会ったのが、のちに夫となるルーク・ヒルマンさん。
初対面ながら話が弾んだ2人は、
出会ってわずか1か月後に結婚を決意します。
理恵さんは当時を振り返り、「不思議と迷いはなかった」と語っています。
ニナの父親でもあるルークさんは、山形の米農家に4年間もホームステイした経験もある方で、実は日本語もペラペラなんだとか。
現在、その縁がきっかけとなり、理恵さんは山形県の米を輸入販売する会社を創設しています
シアトルでの留学は、理恵さんにとって単なる語学留学ではなく、
人生そのものを変える出会いと、新しい価値観を得る大きな転機だったのです。
Starbucks本社でのキャリアと子育ての選択
シアトルで結婚後も、理恵さんは「自分の力で社会に貢献したい」という想いを持ち続け、建築設計を学んだ経験を活かし、1999年にStarbucks本社に入社しました。
当時のStarbucksは世界的に急成長を続けており、新しい店舗デザインやブランドイメージの構築に注力していた時期でした。
理恵さんが携わったのは、店舗の空間デザインやレイアウト設計。
TSUTAYA渋谷店のデザインも手がけた経験があるそうです。
Starbucks本社のデザイン部門は応募倍率が高く、採用には専門知識だけでなく、
デザインセンスや国際的な視点、そして英語でのコミュニケーション能力も求められる狭き門です。
やがて、2人の娘が誕生。
理恵さんは、仕事と家庭の両立という大きな選択を迫られるようになります。
当時のStarbucksは、柔軟な働き方を重視する企業文化で知られていましたが、
本社勤務は責任が重く、仕事量も多いポジションでした。
次女・ニナさんの誕生をきっかけに、
「家族と過ごす時間を大切にしたい」と考え、Starbucksを退職することを決断しました。
「これが最後」母娘で挑んだNizi Project
シアトルでの生活に慣れ、家族4人で穏やかな日々を過ごしていたヒルマン家。
しかし、ニナさんが「日本で芸能活動を目指したい」と夢を抱き、そのサポートのために長女(ニナの姉)と3人で2017年に日本に帰国し生活を始めます。
中学生だったニナさんは、歌とダンスが大好きで、将来はアーティストを志していました。
日本に移った当初、ニナさんは芸能事務所のレッスンに通いながら、数々のオーディションに挑戦します。
NiziUとしてデビューするきっかけとなった、JYPエンターテインメントとソニーミュージックによる「Nizi Project」は
「これが最後のオーディション。ダメならシアトルに帰ろう」
と決めて応募したそうです。
親子で一緒に挑戦した「最後のオーディション」は、
母にとっても、娘にとっても“人生の分岐点”となる出来事でした。
理恵さんはのちにインタビューで、
「自分の夢は叶わなかったけれど、娘が夢を追う姿を見て、人生がまた動き出した」
と語っています。
兄の死をきっかけに起業“日本のお米を世界へ”
NiziUニナさんがデビューし、夢を叶えた頃、母・理恵さんにも、人生を揺るがす出来事が訪れました。
それは、実の兄の急逝――わずか50歳という若さでした。
この出来事をきっかけに、理恵さんは改めて「人生の残りの時間をどう生きたいか」を考えるようになります。
「自分にも、まだできることがあるはず」。
そうして再び心に灯ったのが“日本とアメリカをつなぐ仕事”というテーマでした。
その想いを形にするため、理恵さんは2021年3月、
シアトルで「Great Rice(グレートライス)」という会社を設立します。
この会社は、山形県のサンエイファームが生産する高品質なお米をアメリカに輸入・販売する事業を展開。
同農場の米は、寒暖差のある気候と清らかな水が育む特別な品種で、
ふるさと納税でも高く評価されているブランド米です。
理恵さんはStarbucks本社時代に学んだブランドづくりの経験を活かし、
パッケージデザインや販売戦略にもこだわりました。
ただ商品を輸入するだけでなく、
「日本人の丁寧なものづくり」「お米に込められた文化」を
海外の人々に伝えることを大切にしているのです。
彼女の信念を支えているのは、Starbucks創業者ハワード・シュルツの言葉。
「誰も買わないと言われた高価なコーヒーを信じ続けたからこそ、今のStarbucksがある」。
理恵さんはこの考え方に強く共感し、
「おいしいお米が売れないはずがない」という信念で活動を続けています。
理恵さんはシアトルを拠点に、オンラインやイベントを通じて日本のお米の魅力を発信しています。
母として、女性として、そして一人の起業家として。
理恵さんは、今も“挑戦”を続けています。
 
  
  
  
  
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