「三遊亭歌武蔵」は、元力士・元自衛隊員という異色すぎるキャリアを持つ落語家です。
岐阜から武蔵川部屋に入門した“森武蔵”としての力士時代、海上自衛隊横須賀教育隊での訓練・ザイール慰問、そして圓歌門下での落語家転身という3ステップを経て、独自の芸風を確立しました。
本記事ではその全貌を、「なぜ相撲部屋へ?」「なぜ自衛隊?」「どんな落語家に?」といったあなた疑問に迫ります。
結婚やプライベートの素顔にも迫りつつ、三遊亭歌武蔵の魅力をお届けします。
ぜひ最後までお楽しみください。
異色すぎる経歴:「元力士×元自衛隊」三遊亭歌武蔵のルーツ 🥋🚢

三遊亭歌武蔵のキャリアは、相撲部屋から自衛隊へ、そして落語家へという前代未聞のステップでつながっています。
まずは、相撲取りとしての“力士”時代と、海上自衛隊での経験が彼の人間性と芸風にどう影響したのかを掘り下げます。
なぜ相撲部屋に? 武蔵川部屋入門~元力士「森武蔵」としての道
1968年生まれの歌武蔵(本名:若森正英)は、岐阜県出身。
中学校卒業後、当時の柔道進学予定を一転させ、父が元力士だった縁から武蔵川部屋へ入門。
1983年3月、「森武蔵」の四股名で力士生活をスタートしましたが、半年後に怪我で廃業します。
脱走経験もあるそうで、父親への親孝行のつもりで相撲部屋入門を決めたそうですが、その当時から落語をウォークマンでずっと聞いていたエピソードもあり、他に気になる事がありながらの力士の稽古は、苦しい力士生活だったようです
力士を辞めてから、約3か月後には縁あって落語の世界に足を踏み入れますが、実はその後に自衛隊に入隊という一幕があるようです
なぜ自衛隊に? 海上自衛隊入隊の背景と活動内容
1983年12月、 三代目三遊亭圓歌に入門し、翌1984年5月には前座を務めたりと、落語家として歩み始めます。
しかし、1994年4月に海上自衛隊横須賀教育隊へ“特別体験入隊”という形で参加しまし
た。
歌武蔵さんは「海に憧れがあり、海上自衛隊が大好きだった」「OB師匠に頼み込み、横須賀に体験入隊させてもらった」という背景があったそうです。
8月に練習員課程を修了し、11月にはアフリカ・ザイールのゴマへ慰問活動も行っています
この自衛隊経験から、歌武蔵は「時間厳守」や「規律精神」といった自己管理の基盤を得ただけでなく、慰問経験が高座での説得力にもつながっています。
落語家 三遊亭歌武蔵 ~異色経歴を活かした芸風へ
相撲と自衛隊の経験を経て、三遊亭歌武蔵さんがどのように落語家として歩み、独自の芸を磨いてきたのかを紐解いていきます。
落語家への転身ヒストリー:元力士から真打ちへ
三遊亭歌武蔵さん(本名:若森正英さん)は、1983年12月に三代目三遊亭圓歌師匠に入門されました。
翌1984年5月に前座となり「歌ちどき」を名乗られています。
その後、1988年9月に二ツ目昇進とともに「歌武蔵」へ改名され、1998年3月に見事真打ち昇進を果たされました。
三遊亭歌武蔵だけができる芸風と演目“力士トーク”“ミリタリーネタ”の落語
三遊亭歌武蔵さんの高座では、「力士トーク」と「ミリタリーネタ」という異色の素材を組み合わせた芸風が大きな魅力となっています。
相撲漫談「支度部屋外伝」
元力士としての実体験を基に、相撲漫談「支度部屋外伝」を披露されます。
こちらでは「森武蔵」時代の稽古風景や前相撲脱走エピソードをユーモアたっぷりに語られます。
「ただ今の取り組みについてご説明申し上げます」といった口上は寄席ファンにもお馴染みで、相撲用語と落語世界をつなぐセンスが光ります。
また、古典落語「稲川」「大安売り」では、力士の肉体と体験を前面に出し、豪快な身体表現で観客を爆笑へと導かれます。
自衛隊経験を活かした新作落語
『PKOの穴』や『落選確実』といった新作落語では、自衛隊の規律や慰問経験が重要なテーマとなっています。
例えば「時間厳守」や「段取りの厳しさ」といったミリタリー的要素を取り入れることで、舞台に説得力を与えつつ笑いを生み出されています。
さらに、相撲ネタとミリタリーネタを融合させる場面もあります。相撲界の壮絶な取り組みを語った後に自衛隊の訓練と重ねる構成は、独特な展開と共感を誘います。
三遊亭歌武蔵の落語を聞くには?
異例な経歴を持ち、その経験を芸に生かして、ユニークなネタを披露してくれる三遊亭歌武蔵の落語は、全国を回り公演を行っています
などで購入する事ができます
コメント